2020年9月26日(土)から2021年1月11日(月)の期間、久留米市篠山町にある『有馬記念館』にて、久留米藩主・有馬家が久留米城に入る直前の約30年間に、この地を治めた武将たちを紹介する「有馬入城前夜シリーズⅡ小早川・田中の時代」が開催されています。

 

九州の戦国時代が終わりを告げてから、江戸時代の天下泰平の世を迎える有馬入城前夜、筑後・久留米の地は小早川秀包(こばやかわひでかね)、次いで田中吉政(よしまさ)・忠政(ただまさ)によって治められました。

 

この催しでは、久留米市内に伝わる小早川・田中時代の貴重な古文書や歴史資料が展示公開されています。

有馬記念館の場所は、こちら↓をご覧ください。

有馬記念館と篠山神社の共同駐車場がありますのでそちらに車を停め、

400年以上の時を経て、今もなお残る久留米城の切込接(きりこみはぎ)の高石垣を眺めながら記念館へと向かいます。

本丸南西部にある高石垣

有馬記念館

有馬記念館は、久留米市制70周年を記念して昭和35年(1960年)に株式会社ブリヂストン社長の石橋正二郎により寄付されました。久留米藩主有馬家の居城であった久留米城本丸の南西付近に建てられており、有馬家や郷土久留米の歴史資料の保存や展示に活用されています。
1階はレストランや茶室に利用されており、資料の収蔵庫や展示室は2階に設けられています。設計者の菊竹清訓は、昭和33年(1958年)に発表したスカイハウス以降、多くの作品で床を地面から持ち上げたピロティを作っているが、本例もその影響が看取されます。平成21年(2009年)に市制120周年と石橋正二郎生誕120年を記念し改修。昇降機の設置などが行われています。

有馬記念館

2021年には、有馬豊氏(ありまとようじ)が久留米藩21万石の藩主として初めて久留米城に入ってから400年を迎えます。

 

これを記念して、2020年4月25日〜8月31日まで『山水風景の旅』、2020年9月26日〜2021年1月11日まで『有馬入城前夜シリーズⅡ』、2021年2月6日〜3月31日まで『人形づくし、春づくし』が企画されました。

 

現在行われている『有馬入城前夜シリーズⅡ』を鑑賞してきたのでレポートしたいと思います。

 

1階の記念館入口にある階段を上がると、2階に受付がありますので入場料210円を支払います。受付近くのプロジェクターで、小早川・田中・有馬時代の流れがわかる映像が3部作で放映されています。

 

写真と文章を交えてレポートしたいところですが、館内は写真撮影ができませんので、展示されていた情報をふまえ小早川・田中時代の歴史をさかのぼってみたいと思います。

小早川の時代
16世紀後半の戦国時代末期、久留米の地を治めていたのは高良山座主・良寛の弟、鱗圭(りんけい)でした。しかし、天正15(1587)年の豊臣秀吉による九州平定後は、中国地方8ヶ国を支配した毛利元就(もうりもとなり)の9男坊であり、異母兄である小早川隆景(たかかげ)の養子となった「小早川秀包(ひでかね)」が久留米城を居城としました。
秀包は入城すると同時に城の改修・拡張を行い、城の中心であった本丸(今の駐車場付近)が狭かったため、南に新しい本丸を築き、さらに本格的な城下町の建設にも着手しました。
また、久留米にやってきた年に、キリシタン大名で有名な豊後国主・大友宗麟(おおともそうりん)の娘と結婚し、秀包も同様にキリシタン大名となります。
しかし、まだまだ大きな勢力を持った筑後最大の宗教的権威を持つ高良山座主の鱗圭(りんけい)が脅威だったため、秀包は彼を城へと呼び出し討ち取ります。
その後、秀包の転機となったのが慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いです。秀包はこの戦いに敗れた西軍(豊臣側)に付いたため敗北の将となり城を失いました。その後は病にかかって35歳で生涯を終えています。

篠山神社の境内には、小早川秀包を祀った小早川神社(こばやかわじんじゃ)がひっそりと建てられています。

石の扉にはアンドレアス十字が刻まれています

田中の時代

関ヶ原の戦いで西軍・石田三成を生け捕りにした功績により、慶長6(1601)年、近江国(滋賀県)出身の田中吉政(よしまさ)が筑後一国を拝領することになります。

吉政は柳川城、久留米城には次男の則政(のりまさ)が入城しました。

吉政も筑後に入国早々、久留米城廓の整備・強化を始めます。久留米城の守りを強化するため、本丸の掘を深くし櫓(やぐら)や門が建てられ、二の丸・三の丸の堀も深くし、土居を高くしたとあります。

その他にも、柳川城はもちろん、八女の福島城も整備し城下町を形成しました。

その後、幕府が一国一城の発令をし、久留米城は廃城となりました。

子孫に恵まれなかった田中家の後、廃墟と化した久留米城には元和7(1621)年、新たに有馬豊氏(とようじ)が入城しました。

その後、久留米城は有馬家が江戸時代のおよそ250年を治めた居城となります。

摂津有馬家(筑後久留米藩主)は廃藩置県(明治4年1871年)が行われるまで11代有馬頼咸(よりしげ)へと続いて行くこととなります。

筑後地区に住んでいてもなかなか知ることのない歴史でした。

 

今回、企画展を観て、あのJRA中央競馬のG1のレースのひとつである『有馬記念』の〝有馬″は有馬家14代の頼寧(よりやす)が由来だということを初めて知りました。

 

元々は、頼寧が日本中央競馬会の第2代理事長だった頃に「中山グランプリ」の名称で創設されたものですが、頼寧が急逝したため、その功績を称えて第2回より「有馬記念」に改称されたということです。

 

今回レポートした内容はほんの一部です。

 

有馬入城前夜シリーズⅡ『小早川・田中の時代』展では、価値のある歴史資料や古文書、写真など多数展示・公開されています。

 

2021年1月11日(月)まで開催されていますので、気になる方はぜひ足を運ばれてみてはいかがでしょうか。

有馬記念館 Arima Memorial Museum

【住所】
〒830-0021 久留米市篠山町444
【開館時間】
10:00〜17:00
※入館は16時30分まで
【休館日】
毎週火曜日 ※祝祭日と重なる場合は翌平日
展示替期間中 ※要問合せ
年末年始(12/28〜1/1)
※2021年1月2日・3日・4日を特別開館予定
【入館料】
一般210円(150円)
高校生以下無料
※( )内は15名以上の団体料金
※身体障害者手帳、精神障害者保険福祉手帳又は療育手帳の交付を受けている方とその介護者1名は無料(受付で手帳をご提示ください)
【TEL】
0942–39–8485
【駐車場】
無料あり
【公式ホームページ】
http://www.arimakinenkan.or.jp/

 この記事の内容は2020年11月現在のものです。詳細は施設ホームページなどから最新情報をご確認ください。

 

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