高良御廟塚と月讀神社【三潴町】住宅街にポツンと出てくる指定史跡

先日、大善寺玉垂宮の記事はご覧になられたでしょうか?
良かったら↓見て下さいね!

 

大善寺玉垂宮の御祭神である高良玉垂命の廟が、なんと三潴町にあるとの事なので玉垂宮の歴史を紐解く為に拝礼して来ました。

 

場所は民家の中に入り込んで行き、こんな所にあの玉垂命の廟が!?思う所にあります。
隣には塩塚公民館がありますので、そこを目印に来たら分かるかと思います。

鳥居には確かに高良廟とあります。
そして鳥居を過ぎ奥へと進むと.....

中央に1本の松の木があり、これが『塚崎貝塚・高良御廟塚』になります。

三潴町指定史跡(高三潴字塚崎西畑)

この塚は『寛延記』には「高良明神御廟開基年号知らず」とあるが、出土品などから弥生時代と推定される。城内約七五七平方メートルの国有地内にある直径約二十メートル、高さ約二メートルの円墳で、墳頂に一株の松を植えている。

江戸時代頃、周囲は玉垣をめぐらせていたという。封土(盛土)中には、多数の牡蠣殻や貝殻類が含まれている。

この地は古くから高良玉垂命の塋(墓)域と言って、付近一帯は小高くなっており、弥生式土器の破片が散在し、土中から石斧、石鏃(せきぞく)、石戈(せっか)銅剣などが発見されている。なおこの銅剣について「高三潴村の百姓善兵衛が久留米藩の命により塚を発掘して、石棺より二口の銅剣を発見した」と伝えられている。

付近の住民の話によれば、昭和二十年頃までは、貝殻に覆われていて塚全体が白く見え、黒曜石の鏃や土器、石器、貝殻がいたるところに落ちていて気軽に拾えたそうである。そのうち、心ない愛好家が次々と持ち去り、塚全体が黒ずんでしまった。雨などによる風化も進み、塚表土の流出を防ぐため、上から土をかぶせて塚の保存を図っている。

平成11年3月三潴町教育委員会

説明書きにもあったように、封土(盛り土)をよく見ると牡蠣殻や貝塚がびっしりです。

出土品からは弥生時代と予想されていますが、この貝塚で採取された牡蠣殻は口を閉じたままのものや、地層中に立って埋まったままのものも採取されているため、この辺りは海岸線だったと考えられています。

 

神功皇后と共に三韓征伐に向かい、その後、神功皇后と夫妻にもなった高良玉垂命の廟なのか?と、実際に高良御廟塚拝見させていただき、ちょっと信じ難い思いです。

 

神話は深いなぁ~

 

そして、敷地内には『月讀神社』もあります。

高良御廟塚は隣です。

イザナギが黄泉の国から帰った時に、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原において禊祓いされ、左目を洗われた時に天照大神、右目を洗われた時に月読命、鼻を洗われた時にスサノオが生まれ、この3柱の神は三貴神と言われ別格です。

 

その三貴神の1人、月読命を祀るのがこの月讀神社です。

そして、月讀神社の総本社はなぜか遠く離れた長崎県の壱岐島にあり、海神の性格も併せ持つ神とされています(月の満ち欠けと潮の干満との関係から来ているのだろう)。

 

やっぱり、この辺りは海岸線だったので、この月讀神社を祀っているのだろうと分かりました。

 

歴史って奥が深いですね〜!!

 

以前、壱岐の月讀神社に参拝した時に頂いた御朱印になります。

これからも筑後いこいでは、神社・仏閣、古墳や史跡などなど、いっぱい紹介していきますので皆さん飽きずに見て下さいね^ ^

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今回訪れた場所

◇塚崎貝塚・高良御廟塚
【住所】
〒830-0103 久留米市三潴町高三潴138
◇月讀神社
【住所】
〒830-0103 久留米市三潴町高三潴138-1

 この記事の内容は2020年7月現在のものです。詳細は施設ホームページなどから最新情報をご確認ください。
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