筑後市や八女市、大川市などなど筑後地区の雑談ネタや観光ネタもモリモリ掲載している「筑後いこい」です。毎度ご覧いただいている方も初めての方もどうもありがとうございます。
はい。今回ご紹介するのはタイトルのとおり筑後川の河口で潮が引いた時にだけ現れる「道」みたいなもの。
筑後地区のことはある程度知ってるつもりでしたが、まさかそんなものがあるとは知らずびっくり。
大川市の方はご存じの方が多いでしょうが、それ以外の方は知らないって方が多いはず!と思い込んで紹介していきたいと思います。
若津港
まず、その「道」みたいなものがある場所ですが、大川市の若津港近辺です。
大川市街地からわりと近い場所にあります。地図で見るとこの付近↓
しかし、このあたりから川を見てもはっきりとはわかりません。
ストリートビューで見てみると、潮がぼちぼち引いている時のようですがやっぱりいまいちわからんですね~。
ということで、その「道」みたいなのがよく見える場所に移動したいと思います。
新田大橋
はい。その場所というのは新田大橋です。「にったおおはし」と読みそうですが「しんでんおおはし」と言います。
場所はここです↓
この新田大橋の中央付近に行くとキレイに見えるのです。
車で行くと、大川市側から佐賀県側に橋を渡ってすぐ左側に駐車場がありますので、
そこに停めて、近くにある橋に上がれる階段をのぼり、
橋の中央を目指します。
そして歩くこと3分くらい。
橋の中央に着いて海側を見てみると.....
これ↓は潮が満ちている時の海側です。
何もありませんが....
潮が引いてると.....
ほら↓
道みたいなのがはっきり見える!
反対の川側の潮が満ちてるとき↓
そして潮が引いてるとき↓
すごいでしょ。これすごくなが~~~~いんです。
しかもこれが作られたのは明治時代だとか。
アップで見るとわかるのですが、
大きな石がたくさん敷き詰められています。
機械がない時代にどうやってこんな事が出来るのかさっぱり想像もつきませんし、しかも潮が引いてる時だけしか作業できないでしょうから大変だっただろうな~って。
しかし、遠目には道っぽく見えるけど残念ながらここを歩くことは出来ないようです。
どうにかここを歩けるようにしてもらえると、大川市の新たな観光資源になりそうだな~って勝手に思っちゃいました。
ていうか歩いてみたい!
デ・レーケ堤
ということで、この道みたいなものの名前ですが「デ・レーケ堤」や「若津港導流堤」って呼ばれています。
なんでも、明治時代に政府から招かれたオランダ人技師のヨハネス・デ・レーケって人が設計されたためそういう呼び方がされるんだとか。
そしてこれは、有明海は干満の差が最大約6mと大きくて、潟土が堆積しやすく、明治時代の重要な輸送手段である船舶輸送を妨げる事が多かったことから、筑後川左岸側の土砂が溜まるのを防いで航路を確保するため、1890年(明治23年)に河口から上流約6キロにわたって作られたものだそうです。
100年以上も前に作られたものがこうして今でも残ってて、しかも現在も役割を果たしているっていうからすごいな~。
ということで、今回は大川市にある「デ・レーケ堤」のご紹介でした。
機会があればぜひ見に行ってください。潮見表のチェックを忘れずに↓
最後まで見ていただきありがとうございました。
新田大橋の場所
〒831-0043 福岡県大川市新田
駐車場
大川市から佐賀方面へ橋を渡って左側に河川敷駐車場あり
※記事内の情報は2022年2月時点のものです。
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